『M 愛すべき人がいて』を読んでみた

『M 愛すべき人がいて』の表紙の写真 読書

本書について

『M 愛すべき人がいて』は、ノンフィクション作家、小松成美さんが、歌手の浜崎あゆみさん(以下「あゆ」)及びエイベックス株式会社の松浦勝人専務(2020年現在は代表取締役会長CEO、以下「松浦さん」)へのインタビューをもとに執筆した「事実に基づくフィクション」作品である。

どこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのかということは明らかになってはいないが、ノンフィクション作家の作品ということもあり、その内容は概ね事実として世間的に認識されている。

そして、本書の中で、あゆと松浦さんが交際していたという事実が初めて明言されており、マスコミはその部分を切り取って「浜崎あゆみが暴露本を出版」などと大きく報道し、世間を巻き込んで大きな話題となり、発売後まもなくドラマ化も決定した。
僕自身、僕があゆファンであることを認識している周囲の人間からは「M読んだ?」とか「M読んだよ!」とか言われたりすることがかなり頻繁にあった。

もっとも、言われた本人は当時まだ本書を読んでいなかったわけだが。

きっかけ

いつからファンであるという認識を持ったかは覚えていないけれども、初めて買ったCDは『MY STORY』だし、ファンクラブに入ったのはたしか2005年くらいだから、まあ少なくとも約15年、僕はあゆファンでい続けているということになる。

で、そのくらい、あるいはそれ以上のファン歴を持つ人は当然に知っているのだが、2000年代くらいまでのあゆは歌手としての売上はもちろん、CM、雑誌、テレビなど、タレント的にもかなりの露出があり、良くも悪くも目立つ存在だった(現在は活動の中心を完全にライブに移している)。

そんな話題性のあるスターをマスコミは放っておかない。
ゴシップ誌が毎週のようにあることないことを書き上げ、大衆はそれに翻弄される。

じゃあそんなとき、あゆ本人はどうしていたかというと、週刊誌等のでっち上げ記事に対しては一切の反応を示さなかった。
極稀にある事実に対しては記事が出回る前にファンクラブで報告があることが多かった(ちなみに記事が出なくとも先日の出産のように大事なことはファンクラブで報告がある)が、ほとんどを占めるガセネタに対しては完全に沈黙を貫いた。

当たり前と言えば当たり前だ。
本人が否定したところで、記事を真に受けるような大衆は「否定してるけど本当は事実なんだろ」と思うだけだから否定する意味がない。

とにかく、そんなわけで、ファン的には「あゆが反応しない=ガセ」という図式が完成されていた。

そして、本書についても、僕が知る限りあゆはファンクラブ等で言及をしていない。
だから本書もあまり確認することなく、「どうせいつものガセネタだろう」としか思っていなかった。

が、それは違っていた。

伝わってきた話によれば、なんとあゆ本人のコメントが巻末に掲載されているというではないか。

そして決定的だったのは、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』への著者の出演である。
この番組で著者が明らかにしたのが、

  • あゆサイドから著者にオファーがあった
  • あゆと松浦さん両者を、時には2人同時にインタビューをした

ということだ。

さすがにコメントを出すほどの本の著者が嘘をついていることはないだろうから、上記の2点は事実だろう。

とすれば、この本にはあゆ本人が伝えたかったメッセージがあるはずだ。
それを確かめる必要がある。
そう思って本書を手にとった。

内容

本書は普段取り上げる書籍と異なり、実用書の類ではない。
なのでいつものような、記事だけ読めばつかめるような要約はしない。
というか、要約だけ読んでも実態を捉えるのは無理だから意味がない。

構成としては、第1章から第5章で松浦さんとの出会いから別れまでを描き、それを現在視点の序章と終章で挟む形となっている。
年代としては、本編が1990年代半ばから2000年くらいまで、序章と終章が2010年代終盤。

感想

読み終えて

まず読み終わった率直な感想は、「ドラマよりもドラマチックな人生だな」ということ。
著者の表現力によるところも大きいとは思うが、これだけ壮大な人生を送れる人も珍しい。

実のところ、本書で書かれている内容は、あゆと松浦さんのプライベートな生活以外(ヴェルファーレでの出会いや、ニューヨークでのトレーニング、失踪など)は、過去のインタビュー等での既出事項なので、もちろん知ってはいた。
知ってはいたが、それでもあらためて文字にまとめられると、その壮大さに衝撃を受ける。

そして、同時に思ったのが、普通の人以上の経験をしてきたにも関わらず、その感性は普通の人以上に純粋なものだということ。

どんな出来事に対しても、揺らぐことのない感性を持ち、それを歌詞(時にはラジオやテレビ)に乗せて発信できたからこそ、トップにまで駆け上がることができたのだろうと思う。

お前、自分で詞を書いてみろよ

松浦さんが、デビュー前のあゆに向けて言った言葉。

あゆ本人は自分で歌詞を書くなんて想像もしておらず、この言葉は寝耳に水状態だった。

が、松浦さんの押しもあり、自分の想いをなんとか詞に変換し、それを綴った手紙を松浦さんに渡した。
その詞が『A Song for XX

この曲はシングル曲ではなく、同名タイトルのアルバムに収録されているアルバム曲だが、同アルバムはキャリア通じて初のオリコン1位、ミリオンヒットということもあり、シングル曲並の存在感がある。
そのセンセーショナルな歌詞は多くのリスナーを惹きつけ、今もなお代表曲のひとつとして位置づけられている。

松浦さんも例外ではなく、その歌詞に衝撃を受け、「もっとどんどん書いていけ」とあゆに命じることになる。

A Song for XX』の歌詞を読んだ後にそのような結論が導き出されるのは当然としても、なぜそれより前に「詞を書いてみろ」と松浦さんは命じたのか。
 
それまでのやり取りから、なんとなく歌詞を書けそうだと感じたのか、それともカリスマプロデューサー主導で作り上げられた歌を歌う時代が終わり、歌手自身が自分の考えを歌詞に乗せて発信するという新たなトレンドを形成するためなのか、あるいは僕ら素人には想像もつかないような別の戦略があったのか、それはわからない。
 
ただ、僕を含めて、歌詞から入ったというファンは非常に多く、もし「お前、自分で詞を書いてみろよ」という一言がなければファンになることもなかったかもしれないと考えると、この言葉を発してくれた松浦さんには感謝してもしきれない。

一人がいいです

デビューの日が決まった頃、松浦さんは言った。

3人か、4人のグループを編成しようと思っている。演奏もできるメンバーを揃えて、そのメインボーカルが、あゆだ

一度は承諾したあゆだったが、グループでは上手くいかないことは本人が一番よく分かっていた。

後日、松浦さんを呼び出し、「一人で歌わせてください」と頼むことになる。

周囲の誰もが「売れない」と言い切る中、たった一人だけ諦めずにここまで引っ張ってきてくれたプロデューサーの方針に反対してまでソロデビューを希望するところに、現在の姿にも通じる強い意志を感じる。

ちなみに、松浦さんは2010年に、ブログでこのときのことに触れている。

デビューするまでには1年ちょっとかかった。

ニューヨークへもレッスンに行かせたし、

失敗は許されないと思い、

どういう形態でデビューさせようかとも相当悩んだ。

だけど、僕の考えや心配は彼女が「私は絶対ソロで行きたい」の一言で一蹴。

ソロの難しさを知っている僕はかなり悩んだけど、あえて難しい道を選択。

グループでデビューしていたら、100%自分だけの意見を反映させることはできない。
歌詞や曲やライブやその他諸々についても、他のメンバーの方針と折り合いをつけて妥協しなければならないこともあっただろう。
つまり、グループでデビューしていたら、今のようなあゆは見ることができなかった可能性が高い。

「あえて難しい道を選択」してくれて本当に良かった。

おばあちゃん

父親のいない家庭を寂しいと思った記憶もないし、大人の男の人を頼ろうと思ったこともない。

だって、私にはおばあちゃんがいるから。

毎夜、年齢をごまかして、ディスコやクラブに出入りをして、将来に夢や希望を持てない自分ですら、おばあちゃんの愛情に包まれている自信があって、その愛情と同じくらいおばあちゃんを愛する自分は強くなれた。

 
あゆの全てを受け入れ、無限の愛情を注いでくれたおばあちゃん。
 
そんな最愛のおばあちゃんは、デビュー曲『poker face』のレコーディングの頃に亡くなってしまう。

あゆはレコーディングのため、おばあちゃんの最期の時に一緒にいることができなかった。
(後の雑誌のインタビューで「懺悔することがあるとしたら?」という趣旨の質問に、このときのことを答えている。)

僕にも似たようなタイプのおばあちゃんがいるからある程度想像はつくのだが、多分あゆのおばあちゃんは、あゆが仮に売れていなくとも、元気に生きているだけで、それだけで嬉しく思ってくれただろう。

ただ、トップスターへの階段を駆け上がり、日本中、そしてアジア圏にまでその名を響き渡らせるような存在となったあゆを、おばあちゃんが見られていたら、どれほど喜んでいただろうということを想像すると、ファンながら残念に思えて仕方がない。

未来

序章と終章で語られている部分。

再会した2人の間で交わされた会話。

「あゆね、これからも、ステージに立っていたいよ」

「そんなの当たり前だろ。ここから二十年先までのロードマップを、俺たちは描くんだよ。平成の次の時代、どんな曲を届けるのか。どんな世界をその声で作るのか。今から、あゆの新しい旅がはじまるんだよ」

この本が出版された意味は、ここにあるように個人的には思う。

16年の時を経て再び進みだした浜崎あゆみとmax matsuura
令和という新しい時代を進み続けるという決意を示すと同時に、2人が共に歩むことの意義を示すために、『M 愛すべき人がいて』は出版されたのではないだろうか。

以上が、序盤に記した「あゆ本人が伝えたかったメッセージ」についての僕なりの結論である。

実際のところはわからない。
おそらく答えが提示されることもない。

ただ、間違いなく言えるのは、令和2年現在、あゆは宣言どおりステージに立ち、ファンに驚きと感動を与え続けているということだ。
これからの令和という時代をどのように駆け抜けるのか、どんな姿を見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。

おわりに

本に関する記事はしばしば投稿しているが、今回のようなタイプの本について投稿するのは初めてだった。

当初は記事を書くつもりはなかったのだが、知人から感想を求められることが多かったのと、単純にフィクション作品としても面白かったので投稿することにした。

本記事を読んだファンでない方が、浜崎あゆみというアーティストに興味を持つきっかけになれば、そして既にファンである方とこれからの浜崎あゆみというアーティストへの期待を分かち合うことができれば幸いである。

 

 

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