明日でもいいことは今日やるな

一般的に言われているのは真逆のこと、つまり、「今日できることは明日に先延ばしにするな」ということだが、そういった常識に真っ向から勝負を挑むタイトル、実に興味深い。

僕自身は、「明日でもいいや」と思って仕事を先延ばしにすると、なんとなく居心地が悪くて居ても立っても居られなくなってしまうタイプだ。

だからこそ、その居心地の悪さを補って余りあるようなメリットが本書には掲載されているのだろう、と期待したのだが、実際のところは本書に書かれているのはそういった日常レベルのタスクについてではなかった。

本書のタイトルにもなっている、「明日でもいいことは今日するな」とは情報行動学に基づく教訓であり、大事な場面で判断を誤らないために必要な心得である。
要するに「情報に踊らされて安易な決断をするのではなく、1日置くくらいの熟考はしなさい」ということを表している。

「情報は早く、行動は遅く」を心がけることによって、誤った判断をすることを回避できる。
そして、このような感覚が今の日本人には必要だと筆者の中西輝政氏は言う。

こうした情報と行動の関係に注目し、複雑化する世界において、情報の知り方、読み方、使い方等を可能な限り誤りのないものにする方法が、著者のこれまでのメディア・リテラシー(情報技術)研究の中から選びぬかれた具体例を交えつつ解説されている。

全体で229ページ、それほど気合を入れずとも読むことが可能な長さなのは良い。

プロローグ

プロローグではメディアリテラシーの知恵について、いかに日本人が至らない存在であるかを、3つの例を用いて解説している。
なお、本書は大半の内容が「外国(外国人)に比べて日本(日本人)はダメ」という論調で記述されているので、そういった論調に苛立ちをを感じる方には向いていない。

「嘘をついてはいけない」という教育に理由に関する、日本と欧米の差異は興味深い。
著者によると、日本における理由は皆知ってのとおり、道徳心や正義感のためだが、欧米では、ここぞという場面で大きく決定的な嘘を効果的につくために、普段の小さな嘘で信用を傷つけてはならないためであった。

第1章

第1章には「情報の落とし穴を知る」という題がつけられている。

内容としては、必要な情報を知るということについて書かれており、個別事例として、情報への投資の重要性、自分が持っている情報は自分が思っている以上に少ないということ、国民性や文化による尺度情報の違い、身近で起こっている情報操作などに関する記載がある。

面白かった部分を3つほど紹介する。

○○筋

政治の世界において、「○○筋」という形で発信される情報は、重要人物が直接マスコミに登場せず、態度や意見をはっきりさせないときに使われるので、たまに逃げ道に使われることはあっても、大抵はかなり正確な情報であることが多いらしい。

プロファイリング

ある人間について知ろうとするときには、まずその人の「育ち」に関する情報を集めることだ。

集まった情報をもとに、「人物ファイリング」すれば、かなりのことがわかる。

これは各国情報機関も重視していて、CIAなどは日本の主だった政治家、経済人たちの「プロファイリング」を熱心にしているし、中国の諜報機関はさらに徹底している。
例えば、1972年に田中角栄首相が訪中したとき、彼らは当時、首相が朝食に何を食べているかまで知っていたという。

政治討論番組

欧米では、テレビでの政治討論をおもしろおかしくバラエティ風にやると、政治は堕落して国の活力をそいでしまうということが、1970年代の政治学の教科書にすでに書かれている。

だから、正式な政治討論をする番組の場合、CMを間に入れてはいけない、候補を映す時間を均等にする、といった厳密な規則ができている。

第2章

「情報の裏側を読む」という題がつけられた第2章では、知り得た情報を的確に読む技術について書かれている。

活力ある悲観主義

ある情報に関するとらえ方を、「愚かな楽観主義」と「活力ある悲観主義」の2つに分け、対比している。

前者は、自分の都合のいいようにしか情報をとらえず、あるいは自分の都合の悪い情報からは目をそらしてしまうこと。
後者は、いったんは悲観的に情報をとらえ、その上で他のいろいろな可能性を考えること。

もちろん、情報を読む精度を上げるには、後者のように考えを巡らすことが大切である。

マスコミでの取り上げられ方

マスコミでの取り上げられ方の大小では、ことの重要性は判断できない。

例えば、北朝鮮が韓国の哨戒艦を撃沈する事件(天安沈没事件)が起きたとき、欧米各国はもちろん日本の民放でさえもこれをトップニュースとして大きく報じたが、NHKのニュース9のトップニュースで報じられたのはこの大事件ではなく、「新潟で飼育しているトキの卵がカラスに食われた」というものだった。
しかも、その後も緊急性の無いニュースが続き、天安沈没事件が報じられたのは、ニュースが始まって29分も経った段階、割かれた時間も「トキの卵」よりはるかに少なかった。

ニュースの配列は、その日の担当者やメディアの報道傾向によっていくらでも変わるものなのだ。

情報を雑多に漁る

どんな情報も、特定の主観に基づいた発信がされている。

なので、情報源を特定のメディアに限定してしまうと、そのメディアの考え方に染まってしまう。

それを回避するために重要なのが、とにかく情報を雑多に漁って、情報に対する感度、嗅覚を磨くということ。
漁っている際に、「これは特定の主観に基づくものだ」という前提は常に忘れないようにしなければならない。

第3章

「情報から行動の選択へ」ということで、この章では情報をもとに行動を選択する技術が書かれている。

日本の情報戦略が弱い3つの理由

冒頭から度々主張されていることだが、日本は諸外国と比べて情報戦略が圧倒的に弱い。

日本で戦後、情報機関が発達しなかった理由は次のとおり。

  1. 左翼の抵抗
  2. アメリカ政府の妨害
  3. 霞が関の抵抗

筆者は、決定的な理由は3だとしている。
各省庁とも、自分たちの省益や優位性を守るため、もっと言えば、自分たちで情報を独占しておくため、省庁外に情報機関を作るのに猛反対したのだと。

国や企業全体で共有してこそ情報は活かせる。
ただ持っているだけでは意味はないのだ。

情報の本質は「プラグマティズム」にある

プラグマティズム=実用主義に徹することが情報を使う際に重要なことである。

そもそも情報を集める目的は、「結果を出すこと」

過去の成功体験などにとらわれず、その時と場合に応じて、情報の使い方を最適化する柔軟な考え方が必要となる。

第4章

前3章で、

  • 知るべき情報を知る
  • 知り得た情報をしっかりと読む
  • 情報を使う

ことについて触れられてきた。

第4章では、さらにステップアップし、「情報を活かしてどう行動に結びつけるか」について書かれている。
以上の4段階を経て初めて、情報は自分のための「生きる知恵」になるという。

情報は事務処理思考では活かせない

情報の中には数字や事実など「ドライな要素」が含まれてはいるが、現実にはそれらを発信しているのはあくまでも人間である。
それによって情報には「ウェットな要素」が追加される。

かつて農耕民族として発展してきた日本人は、機械的な事務処理を好む傾向がある。
しかし、人を相手にする情報戦においては、通り一遍に考えず、「相手を動かすため」という目的を常に意識し、戦略を柔軟に変えることが大切となる。

短絡的な因果関係に陥らない

ものごとを因果で考えること自体は有益だが、問題は、因果関係を考えるときに、どれほど幅広く可能性を考えられるか、ということ。

例えば、日露戦争で日本が勝利したことが太平洋戦争を招いた、という歴史教育でお馴染みの因果関係だが、筆者はこれを「非常に幼稚な解釈」「まったく的外れな原因論」としている。

日露戦争と太平洋戦争の間の出来事には、代表的なものだけでも「大正デモクラシー」「ロシア革命」「世界大恐慌」など、様々なものがあるのに、それらを無視して、日露戦争と太平洋戦争を1対1で直結させるのは無理がある。

僕は歴史には疎いほうだが、これは的を射ているんじゃないかと思う。

例えば日常生活においてですら、「なんで○○なのですか」と聞かれたときに、どの要因を答えればいいのかと迷うことはしばしばある。
短期スパンの出来事ですら1対1対応していないのだから、10年20年といった間の歴史上の出来事については言うまでもない。

そのつもりで考える

情報に対する感受性は、自分の枠を飛び出したとたんにぐんと深まる。
つまり、「自分だったらこう考える」だけではなく、「自分が○○の立場だったらこう考える」まで踏み込んで考えることによって、今までとは別の側面から情報をとらえられるようになる。

様々な可能性、要素を考えるという点において、このことは「短絡的な因果関係に陥らない」に通じるものがある。

国民力による支え

この本の中で一番残念な箇所であったが、筆者的には今後を示す重要なところのつもりのようなので一応触れる。

散々述べられてきたように、日本という国は、情報の収集能力が、他の国に比べ著しく劣っているわけだが、では日本という国は一体どうしたらいいのか。

答えは、日本人全体の国民力を高めること。

ここでいう「国民力」とは、「勤勉さ、自発性でもって自らの能力を磨く力」をいうようだ。

日本の場合は地位が上に行くほど能力が落ちる傾向がひどくなるから、一兵卒、現代で言えば平社員のような人々が、下から「国民力」で支えることが重要なのだと。
そして、日本では真ん中から下の層だけが「しっかり仕事をしていれば必ず報われる」から、彼らは頑張ることができると。

さらに、筆者が言うには、残念なことに、ここ30年ほどで下からの支えがとみに弱くなっている。
それをどうにか再生しようとするにはどうすればよいのか、という問題意識を持つには、繰り返される静と動、乱と治、混乱と秩序の中で、今の世の中がどの段階にあるのかを考えることも戦略のひとつである。

 

なんだろう、この感じ。

ちょっと時代錯誤が過ぎるんじゃないかな。

 

それまでのストーリーは、正否はともかく、理路整然と進んでいたので、ここで「頑張る」などという言葉を目にするとは思いもしなかった。

ある程度当たっている部分はある。
例えば、人間関係の器用さやめぐり合わせだけでのし上がってきた無能なトップ層なんて腐るほどいるし、下からの支えが弱くなっているのは事実かもしれない。

が、そもそもの前提が間違っている。

筆者は1947年に生まれ、現在社会的には高い位置にいるので知らないのかもしれないが、「しっかり仕事をしていれば必ず報われる」時代はもう終わっている。
むしろ「しっかり仕事をしても全然報われない」時代、もっと言えば「しっかり仕事をすると災難が降り掛かってくる」時代である。

若い世代のサラリーマンならまあ経験があるであろう、「あぁ、もうできたの?余裕だね!楽してるんじゃない?この仕事も担当してよ。給料は変わらないけど」
これこそが下からの支えが弱くなっている原因だろう。
頑張っても報われないどころか損をするのだから。

まあ、広い視点を持つのが大切だというのには賛同するし、こういった現状を変えていくために使うのが望ましいのではないだろうか。

日本人の傾向を知る

本書の最終項

ラス前と違って、同意できる項なので、口直しも兼ねて取り上げる。

政治でも経済でも、国の社会構造や国民性によってふさわしい形は異なる。
したがって、そもそもの国の成り立ち、文化・伝統・国民性、日本人の一般的な行動様式、発想といったことの「基本型」がどうなっているかという情報が、どんな情報にも増して重要な情報といえる。

日本を知るということは、端的に言えば「大方の日本人ならこう反応するだろう」という傾向を知るということ。

自らを知り、自らへのたしかな自信と誇りを持つと同時に、自らの陥りやすい欠点にも注意を怠らないことが一番大切である。

そして、一見、二律背反に見えるような必要性を、喜んで引き受けられるような、精神の柔軟さを持つように努めることが、今の日本人にとって大切である。

まとめ

タイトルに興味を持って手にとった本書だが、当初考えていたものと内容は全然異なっていた。
非常に上手なタイトルの付け方である。

内容は同意できない部分もあったが、役立つことも記載されていた。

多用な視点に立ち、柔軟な発想を持つことは、いつの時代、どんな立場においても大切なことだと思う。

筆者が言うように、「これは特定の主観に基づくものだ」という視点を持って本書を読むのが良いだろう。

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