ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論

2018年7月に初版が発行された本。

著者の朝倉祐介氏はシニフィアン株式会社共同代表で、かつてはマッキンゼー・アンド・カンパニーの勤務、ミクシィの代表取締役社長兼CEOなどの経歴を持つ。

本書は、日本企業や経済の成長を阻む足かせとなっている「PL脳」と、それを打破し、成長へと舵を切るための「ファイナンス思考」について、実例を交えながら解説した書籍である。

ページ数は全体で310ページ弱。
そのうち巻末の約40ページは「これだけは押さえておきたい!会計とファイナンスの基礎とポイント」と称して、会計の基礎的な知識や用語について解説されているので、会計関係の知識があまりない方はこちらを先に読むのが良いだろう。

PL脳について

PL脳とは

PL脳とは、基礎的な会計知識に基づきつつもファイナンス(本書ではコーポレート・ファイナンスを指す)の観点に欠け、会社の長期的な成長よりも目先の売上や利益を最大化する(PL=損益計算書を良く見せる)ことを目的視する、短絡的な思考態度のことを言う。

PL脳はなぜ問題なのか

そもそも企業(上場企業)は、基本的に将来にわたって無期限に事業を続けることを前提としているので、長期的に生み出す価値を最大化するような決定、行動をしなければならない。
PL脳が問題なのは、そういった会社の長期的な価値向上のための取り組みを阻む思考だからである。

PL脳に陥った人は次のような行動を取りがちになる。

  • 黒字事業の売却をためらう
  • 時間的価値を加味しない
  • 資本コストを無視する
  • 事業特有の時間感覚を勘案しない
  • 事業特有のリスクを勘案しない

現在黒字の事業でも、将来的に生み出すキャッシュや必要となるコストによっては、事業の価値を高く評価してくれる会社に売却した方がいい場合もある。
しかし、PL脳に侵されていると、直近の決算におけるPLの悪化を恐れ、決断をすることができない。

あるいは、長い期間をかけて大きな収益を生み出すようになるタイプの事業を、投資費用を抑制しようとして早々と収益化し、結果として成長機会を逃したり、目先の僅かな利益を求めて割に合わないリスクを持つような事業を推進したりする。

PL脳の実例

ファイナンス的に考えれば不合理であるにも関わらず、PL脳に侵された行動は実在する有名企業によっていくつも実行されてきた。

売上至上主義

読んで字の如く、PL上の売上高の最大化こそが経営上の最優先のテーマであるとする考え方のことである。
こうした考え方は、主に多数の事業を抱えるコングロマリットや、多数の商品を販売するメーカーで持たれる傾向がある。

売上至上主義の問題点は、売上を拡大したからといって、必ずしも利益やキャッシュが増えるわけではないという点にある。

場合によっては、利益よりも売上高の最大化を優先すべきフェーズや状況も存在するが、それはあくまで将来的にキャッシュを回収するという目論見と長期的な展望があった上での短期施策でなければならない。

売上至上主義の原因は主に3つある。

  • マーケットの現状が見えていない
  • 前年対比の成長が目的化している
  • 利益をベースにした社内の管理が難しい

こういった売上至上主義に陥った実例としては、携帯電話端末の業界やダイエー等が挙げられる。

利益至上主義

会社として利益を追求すること自体は悪いことではない。

しかし、利益の捻出や増加を絶対視すると、かえって会社の長期的な価値向上の妨げにもなりかねないケースが生じる。
また、最終利益の最大化を目的とすると、会計操作に近い取り組みがなされてしまうこともある。

前者のケースとしては、営業利益のかさ上げのためのマーケティングコストや研究開発費の削減、のれんが発生する企業買収の回避、会計基準に左右される意思決定等があり、後者のケースとしては、子会社・関連会社株式の時価評価への洗い替えを目的とした売却や買い増し等がある。

キャッシュフローの軽視

PLはテクニカルな操作によって、会社の業績を実態よりもよく見せてしまうことが合法的にできてしまう面がある。
そういった操作をおこなっている場合、利益とキャッシュに差異が生まれることになり、それは会社の存続を左右しかねない。

また、子会社のPLばかりを重視した結果、親会社へのキャッシュの融通にまで手が回らず、肝心な時に親会社による事業投資などが行えないという事態も起こりうる。

PL上は黒字であるにも関わらず、手元のキャッシュがないために会社が倒産してしまう事態を「黒字倒産」という。
特に必要資金が多くなる高成長の事業や、余裕資金の乏しい中小企業は黒字倒産のリスクが相対的に高い。

バリューの軽視

複数の事業を扱う大企業にとっては、個々の事業にどの程度注力すべきかは重要な経営課題だが、事業ごとのPLを厳密にモニタリングしている一方で、事業そのもののバリューについては十分な注意が払われていないというのもありがちな状況である。

「その事業は自社の価値向上に貢献するのか?」ということを念頭に置き、思わぬ事態に遭遇したら、早々に方針を転換する柔軟さを持つこともまた重要である。

バリュー軽視の失敗事例としては、シャープの液晶テレビ関連事業の過大投資、逆にバリューを重視した成功事例としては、日立のハードディスク事業売却が挙げられている。

短期主義

無期限の経営を前提としているにもかかわらず、会社の決算は1年や四半期といった期間によって区切られて評価されてしまう。
そのため経営者は、どうしても目の前の決算内容を良くしたい(PLを良く見せたい)という動機を持ってしまう。

しかし、その思考にとらわれると、事業売却や構造改革のように、長期的には会社の成長に貢献する一方で短期的なコスト計上を必要とする大胆な施策は、着手しづらくなってしまう。

短期主義の実例として、東芝の不正会計問題、短期主義を避けるためのMBO(マネジメント・バイアウト:経営者が株主から自社株式を買い取ること)の実例として、デルやUSJが挙げられている。

なぜPL脳が蔓延しているのか

PL脳に陥っているのはこれまでに紹介した企業(ビジネスパーソン)だけではない。
数々のメディアや投資家たちもまたPL脳に陥っている。

これほどまでに日本にPL脳が蔓延している状況には6つの理由がある。

高度経済成長期の成功体験

高度経済成長期の成功体験が強烈すぎたがゆえに、PL脳から脱しきれていない、というのが大きな理由である。

放っておいても市場が拡大する経済の下では、いかに生産を増加してシェアを確保するかという発想、すなわち売上志向が経営方針となる。
そして実際に、売上の拡大だけを念頭に置いた経営をしていても、市場牽引の力が強かったために、会社は成長してしまった。

高度経済成長期の景気拡大の主要因が、戦後の人口増加(団塊の世代)と、それによる労働人口の増加、消費の拡大によるものであったことは、近年盛んに指摘されているとおりであるが、当時の日本企業は拡大は自分たちの経営手腕によるものであると錯覚してしまったのである。

役員の高齢化

経営とは本来、営業や開発、生産、管理などと並列に扱うべき、ひとつの職種である。
実際、アメリカにおいては、特定の会社での経営で実績を残した経営者が、業界をも跨いで他の会社の経営を担うといった事象はよく見られる。

しかし、年功序列を基本とする日本企業において、取締役などの経営に携わるポジションは、過去に事業の執行を成功させてきた社員に対する論功行賞の温床として用いられている。

その結果、新任CEOの平均年齢は世界平均が53歳であるのに対し、日本は61歳と、極端に高い年齢となっており、この数値はさらに上昇の一途をたどっている。

高齢で役員になるということは、経営者として在任する期間が短いことを意味する。
そうなれば、必然的に会社の未来を見据える期間も短くなり、自信の在任期間中を大過なく全うすることに意識が向いてしまう。

間接金融中心の金融システム

かつての日本は直接金融による産業資金供給がメインであった。
現在の金融システムが間接金融中心となっているのは、戦時体制下において、軍需産業に対する資金の傾斜配分を目的として整備が図られたためである。

デット調達においては債権者が金利からリターンを得るのに対し、エクイティ調達においては株主が会社の成長に伴う株価の上昇や配当によってリターンを得る。

ここで重要なのは、株主は会社が成長しないことにはリターンを得ることはできないが、債権者どれだけ会社が成長したところで、得るリターンは変わらないという点である。

そのため、銀行などの債権者は、リスクを冒してまで会社の成長を望んではいない。
金利を支払うだけの安定した利益が出ればそれで良いと考えてしまう。

貸し手である銀行が、貸出先の安全性を重視して最終損益を注視するPL脳であるために、借り手である企業もまたPL脳に染まってしまうという構図である。

PLのわかりやすさ

ファイナンスに関するものの考え方を理解するのに比べて、PLの見方を理解するのは容易であり、社内のオペレーションを管理する指標として使い勝手が良いということも、PL脳を蔓延させる一因となっている。

ファイナンス知識に乏しい現場レベルだけでなく、経営層までもPLの最大化を最優先事項と思い込む企業もあり、そういった企業ではPLベースの管理手法が人事評価にまで埋め込まれている。
そのことが、PL脳の浸透に拍車をかけていると言えるだろう。

企業情報の開示ルール

証券取引所における開示ルールは、投資家に正確な情報を与えて保護するための仕組みであるが、経営者が過度にルールを意識すると、かえって成長の足かせとなることもある。
例えば四半期ごとの決算短信では、まずもって売上高や営業利益、経常利益や当期純利益といった、PLの数値が最初に記載されているものだが、こうした事実が経営者の頭の中に、これらの数値の最大化が最も大事であるという意識を刷り込ませやすい。

また、売上高に対して10%以上、営業損益・経常損益・当期純損益に対して30%以上の変動が生じる見込みとなった場合には、その旨を適時開示しなくてはならず、なるべく下方修正を出したくないと考える経営者はPLを作ろうという発想に陥ってしまいかねない。

メディアの影響

読者にとってわかりやすいということもあり、業績を報じるメディアは揃って企業業績の上げ下げを報じている。

業績の変化が企業価値の向上にとってどのような意味合いを持つのかは取り上げず、ただ「増収増益」「減収減益」などという見出しが並ぶ状況では、経営者は追及を逃れるためにPLを重視するようになってしまう。

ファイナンス思考について

ファイナンス思考とは

ファイナンス思考とは「会社の企業価値を最大化するために、長期的な目線に立って事業や財務に関する戦略を総合的に組み立てる考え方」のことである。

先述のPL思考との比較を、「評価軸」「時間軸」「経営アプローチ」の観点で行うと次の表のとおりとなる。

  ファイナンス思考 PL脳
評価軸

企業価値
(将来にわたって生み出す
キャッシュフローの総量)

PL上の数値
(売上、利益)
時間軸 長期、未来志向
自発的
四半期、年度など短期
他律的
経営アプローチ 戦略的
逆算型
管理的
調整的

ファイナンスは全業務に紐づく

本書で定義されている「ファイナンス」の内容は次のとおり。

  1. 事業に必要なお金を外部から最適なバランスと条件で調達し、
  2. 既存の事業・資産から最大限にお金を創出し、
  3. 築いた資産を事業構築のための新規投資や株主・債権者への還元に最適に分配し、
  4. その経緯の合理性と意思をステークホルダーに説明する

この流れからわかるように会社でのすべての業務はファイナンスに紐づいている。

ファイナンス思考を身につけることによって、自分たちの業務が会社全体のファイナンスとどう紐づいているのかを理解できるだけでなく、他者とどのように比較され、評価されているのかを意識することもできる。

ファイナンス思考の実例

ファイナンス思考に基づく未来志向の経営を実践している事例を、先程のファイナンスの内容1~4に即して紹介している。
具体例なので割愛しているが、本書では下記以外に関西ペイントやコニカミノルタ、日立製作所の事例も紹介されている。

アマゾン

  1. 低金利の市場環境を活用し、十分な現金がありながらもデット・ファイナンスでホールフーズ買収資金を調達
  2. フリー・キャッシュフロー最適化を重視し、事業成長やキャッシュ・コンバージョン・サイクルの徹底改善を通じて資金を最大化
  3. 自社株買いや配当といった株主に対する還元を抑え、市場リーダーになるために果敢に投資
  4. 市場リーダーの地位確立による株主価値の向上が本質的な成功と訴え、投資家からの信任を獲得

リクルート

  1. 創業から50年以上が経過した後の株式上場による約2,000億円の調達
  2. キャッシュカウ化した日本国内事業からの資金創出と、買収先への「ユニット経営」導入による収益性改善
  3. 失敗体験を踏まえた積極的海外M&Aによる、「人材派遣・人材情報サービス世界一」に向けたグローバル化の実現
  4. 主要セグメントの責任者が資本市場に対して直接説明

JT

  1. 東証一部上場を通じた、海外たばこ事業買収のための成長資金の獲得
  2. 好業績下での工場閉鎖などの経営合理化により、事業買収に向けたキャッシュフローを創出
  3. 大型の海外M&Aと買収事業に対する積極的な成長投資によるポートフォリオ入れ替え。遊休不動産の流動化と売却による資産の最適化
  4. 国外投資家の要望に応え、11億円のコストをかけたIFRS(国際会計基準)任意適用

まとめ

PL脳の問題とファイナンス思考の必要性について説いた本であった。
タイトルは「ファイナンス思考」だが、内容としてはPL脳関係に割かれている文量の方が多い。

個人的には、以前勤めていた会社において、売上至上主義が問題だと感じていたこともあり、特にPL脳関連の記述に共感できる部分が多かった。

スペースの都合上割愛したが、ファイナンス思考の具体例は考え方等も交えて詳細に解説されているので、これらの企業自体や、ファイナンス思考によってどのような経営判断がなされるのかについて興味がある方は読んでみると良いだろう。

 

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